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作家の読書道 WEB本の雑誌 Presents

WEB本の雑誌

作家自身は、どんな「本屋のお客」なんだろう?そしてどんな「本の読者」なんだろう?
そんな疑問を、作家の方々に直撃インタビューです。

上田岳弘さん:イメージ

第204回:上田岳弘さんデビュー作「太陽」の頃から、大きな時間の流れの中での人類の営みと、個々の人間の哀しみや郷愁を融合させた作品を発表し続け、『私の恋人』で三島由紀夫賞、そして今年『ニムロッド』で芥川賞を受賞した上田岳弘さん。5歳の頃から「本を書く人」になりたかった上田さんに影響を与えた本とは? 作家デビューを焦らなかった理由など、創作に対する姿勢も興味深いです。

その3「執筆とは正反対のことをやる」(3/6)

<文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
『文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)』
ジャレド・ダイアモンド
草思社
972円(税込)
BANANA FISH(1) BANANA FISH (フラワーコミックス)
『BANANA FISH(1) BANANA FISH (フラワーコミックス)』
吉田秋生
小学館

――ところで、作家になろうと思っていたそうですが、大学では法学部に進学されていますよね。

上田:そうです。作家になりたいとは親に言っていなかったので、文学部に行くのを反対されたというのもありますけれど、僕もそこまで文学部に行きたいという気持ちはなかったんです。それより、両極のものを味わいたいというのがあります。高校も理系コースだったし、大学も法学部だし営業のバイトとかしてましたし、社会人になってもビジネスとかやっているんで、小説の執筆とは反対のことをやりたい欲求があるんですよ。

――では本を読む以外に夢中になったことなどはありましたか。

上田:この頃はあんまりないですね。音楽は聴いていました。中学生の時に7歳上の姉がビートルズを聴いていたので僕も聴いてみて、「あ、やっぱりいいじゃん」となって。それまでは邦楽のポップスやテレビで流れているものを聴いていたんですけれど、そこからロックに興味が湧いていきました。日本のロックバンドはそこまでハマらなかった。大学では先輩に教えてもらって、レディオヘッドとかニルヴァーナとか。ベタ中のベタですよね。だいたい僕は受け身で、自分から探しにいかないから、王道しか入ってこない。

――小説は書きましたか。習作みたいなこととかは。

上田:小説を書き始める前のイニシエーション的に、19歳か20歳の頃には論文を書いていました。学校の課題ではなく、趣味で。「鉄と法」っていうテーマで12000字とか。

――ジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』みたいな感じですか?

上田:そうそう、あれに近いです。次に「座標と温度」を書こうとして、「いや、これは論文というより文学の領域かな」と思いましたけれど。

――「鉄と法、座標と温度」は上田さんの「太陽」の中で、生物学者の著書として出てきますね。

上田:そうそう、そうなんです。そういうことを素人考えで論文を書くのがその頃のライフワークでした。
 結局、なんで子どもの頃から作家になろうと思っているのかが分からなくて、別のルートを一応試してみたいんでしょうね。理系コース行ったり法学部行ったりするのも同じ。最終確認として、小説と隣接する文章として論文を書いてみて、ピンと来なかったらやっぱり小説なんだなっていう。遠回りなんですけれど、そういう確認をしながらやってきた感じですね。でも論文を書いたのは、『BANANA FISH』のアッシュ・リンクスが論文を書いているのが格好いいなあ、というのもちょっとありましたね(笑)。

――小説を再び書き始めたのはいつくらいですか。

上田:21歳か22歳くらいで書いたのが、はじめて最後まで書き終えた小説でした。それが420枚くらいあって。

――いきなり長い(笑)。

上田:そう、いきなり(笑)。とりあえず作家になるには1作くらい書かないとどうにもならないと思って書いたのがそれでした。サナトリウムで死にゆく少女を見守るみたいな、ザッツ・セカイ系で、処女作にふさわしいベタな内容です(笑)。でも飛んでいる感じがあるというか、リアリズムにはしていなかったですね。その後に純文学の新人賞の存在を知ってそれに当て込んで書いたものよりも、何も知らずに書いたその420枚のほうが、今の作風に近かったです。

――大学卒業後は就職せず、小説を書きながらアルバイトとか?

上田:そうですね。日雇いとかたまに行ってました。肉体労働ではなく事務職です。ある会社が日雇いの事務職を募集していて、時給が1000円だったんですよ。「これいいじゃん」と思って行ったら、Word文書を3枚作って、あとはネット検索しているだけで8000円もらえるという、あまりに楽な内容で。「明日も来ていいですか」と聞いたら「いいよ」と言われ、そのまま居つきました。「明日も来ていいですか」を2年半ほど続けました(笑)。
小説のほうは、純文学の新人賞の存在を先輩に教えてもらったのが23歳の時でした。それで過去の受賞作を読んで「こういう感じで書くのか」と思って規定枚数に合わせて私小説的なものを書いて送ったら、最終選考に残ったんですよ。それで「ああ、なるほど」って思い、その後に何作か書きましたけれど、まだデビューは早いなと思って、働き始めたんです。

――ん? 早いとは? 

上田:僕のなかでは20代でデビューするのって超早い、というイメージだったんです。だって、分析すると、新人作家の小説って3作目くらいまでしか雑誌に載らないんですよね。3作までに結果を出さないと終わりなんで、そのチャンスを20代で使うのはもったいないと思ったんです。

――今ここで頑張らなくても、いずれデビューできるという自信はあったのですか。

上田:いや、そこまでは思っていないですよ。ただ、20代の今デビューしても、その先、作家としてやっていけるか自信がなかった。だったらもっと、一番可能性が高い頃にまた挑戦しようと思ったんです。

――年齢を重ねたほうが、可能性が高くなると?

上田:やっぱり直感と、経験の蓄積による「眼」が必要だと思うんです。「こうに違いない」ってピーンとくるっていう直感と、「でも実際はこうだよ」って気づける、経験の蓄積による眼が兼ね揃わないと、書けない気がするんです。直感と眼が養われていれば、存在しないものを書いた時にリアリティを与えられるじゃないですか。それって20代じゃ無理なような気がしますよね。もちろん、20代で作家デビューして活躍いる人はいっぱいいるけれど。

――ただ漫然と生きているだけでは、歳を重ねてもそうした「眼」は養われませんよね。

上田:僕は5歳くらいから作家をやろうと思っていたので、ずっとそういう眼を意識して生きてきました。教室内の人間関係も見てきたのも、理系に行ったのも法学部に行ったのも、友人の起業に付き合ったのも、「作家になるんだったらこういうものやっておいたほうがいいな」という気持ちがありましたから。

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