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第57回:松井今朝子さん

コロナ禍のお買い物
<プロフィール> 松井今朝子(まつい・けさこ)
1953年京都市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科演劇学修士課程修了。松竹を経て故・武智鉄二氏に師事、歌舞伎の脚色、演出、評論などを手がける。1997年、『東洲しゃらくさし』で小説家デビュー。同年に『仲蔵狂乱』で第8回時代小説大賞、2007年『吉原手引草』で第137回直木賞、2019年『芙蓉の干城』で第4回渡辺淳一文学賞受賞。その他の著書に『円朝の女』『師父の遺言』『料理通異聞』『縁は異なもの』『江戸の夢びらき』などがある。

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【1】『能面花鏡』(求龍堂)
【2】『文楽の研究』(岩波文庫)
【3】『続・文楽の研究』(岩波文庫)
【4】『能・文楽・歌舞伎』(講談社学術文庫)

『能面花鏡』『文楽の研究』『続・文楽の研究』『能・文楽・歌舞伎』

 ともあれ今は古典芸能コーナーが2階の一角にあるので、早速そこを物色することに。
 そこには1冊でこの仕事が終えられそうな豪華写真本がありそうだったが、今回は意外にも巡り逢えない。とはいえこうしたチャンスでもなければと、手の届かない高さの棚にある大判の写真集『能面花鏡』を取ってもらってまずは買い物カゴへ。
 能面は静謐な表情の裡に人間の心の深奥に触れる怖さがあるから、ときどき眺めてはぞくっとするのが意外に人物描写の参考にもなるのだった。
 このコーナーには有り難いことに拙著の歌舞伎を題材にした小説も何冊か並んでいるとはいえ、もちろん啓蒙書や評論、研究書の類が圧倒的で、既に購読したのや知人から恵贈された著作も多い。中で昔たしかに読んだが今なぜか手元にない古典的名著の復刻文庫版ともいえる三宅周太郎著『文楽の研究』と、その続編をゲット。ドナルド・キーン著『能・文楽・歌舞伎』はうっかり読みそびれていた口だ。

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【5】『現代語訳 歌舞伎名作集』(河出文庫)
【6】『男の絆の比較文化史 桜と少年』(岩波現代全書)

『現代語訳 歌舞伎名作集』『男の絆の比較文化史 桜と少年』

 アッと驚いて見たのは河出文庫の『現代語訳 歌舞伎名作集』。著者は阿国歌舞伎研究の第一人者として個人的にも存じ上げている方で、この本の存在をわたしが全く知らなかったのは実にフシギな感じだった。なぜなら同社の日本文学全集で『仮名手本忠臣蔵』の現代語訳を担当し、編集部から過去の訳例を他社のも含めていくつか送ってもらった中に、うっかりしたのか自社のこれが入っていなかったのである。なのでこの際に、遅ればせながら入手して拝読することに。

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【7】『新東京文学散歩 漱石・一葉・荷風など』(講談社文芸文庫)
【8】『新東京文学散歩 上野から麻布まで』(講談社文芸文庫)
【9】『大東京繁昌記 下町篇』(講談社文芸文庫)
【10】『大東京繁昌記 山手篇』(講談社文芸文庫)
【11】『東京の昔』(ちくま学芸文庫)

『新東京文学散歩 漱石・一葉・荷風など』『新東京文学散歩 上野から麻布まで』『大東京繁昌記 下町篇』『大東京繁昌記 山手篇』『東京の昔』

 古典芸能コーナーの横には東京コーナーともいうべき書棚があって、そこでも入手しそびれていた何冊かをつかみ取って買い物カゴへ。
 実家のある京都は日本有数の学都だから、早稲田に進学を決めた時は先生や同級生に「なんでわざわざ東京の大学なんかへ」と貶されたが、今にして本人は歌舞伎好きなばかりでなく、東京という街が好きだったせいだろうと思う。日本が高度経済成長の活力に充ちた60年代の銀座界隈や皇居周辺は整然として且つ大都市ならではのオーラに包まれ、京都から来るたびに見惚れたステキな風景だったのだ。
 受験生の頃に愛読していたのは庄司薫のほろ苦い青春小説『さよなら怪傑黒頭巾』で、浪人生の薫くんが東京タワーの上から星の見えない大都会を眺めて「東京はほんとにきれいなんだ」と心に呟くシーンもいまだに忘れがたい。薫くんは70年安保を控えた大学紛争の裏面を垣間見て大人社会の痛みを予感しつつ、そこに踏みださなくてはならない自身への励ましとして呟いたのだろうが、わたしはそれに背中を押されて東京に出て来たようなところもあった。
 かくして拙著は江戸や東京を舞台にした作品が多いので、以前はよく編集者に「そろそろ京都を書きませんか」と水を向けられたが、「京都はもう他郷の人がいっぱい書いてるじゃないですか」とあっさり退けてしまった。

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 京都では小中高とミッションスクールに学んだおかげで、日本の伝統社会とキリスト教に基づく西洋的な近代化とのギャップに強くこだわるようになった。江戸町奉行所の与力出身で、明治維新後にキリスト教の伝道活動をした原胤昭という人物に興味を持ち、拙著『銀座開化おもかげ草紙』シリーズの主要人物にしたのもそのせいだろう。
 原胤昭は銀座十字屋の創業者でもあって、当時の十字屋は今日のような楽器店でなく、聖書の輸入に始まる書店だったので、教文館の先輩格といえるのかもしれない。現在はここの3階が国内最大級のキリスト教関係書籍の売場だから、彼の事績を調べるにも随分とお世話になったものだ。

【12】~【16】『完訳フロイス日本史』〈3〉~〈7〉(中公文庫)

『完訳フロイス日本史』〈3〉~〈7〉

 鎖国した関係もあってか日本人は西洋の目を通して自国を見直す意識が強いらしく、たとえば今日に流布する織田信長のイメージは当時来朝していた宣教師ルイス・フロイスの「日本史」に拠るところが非常に大きいように思う。今までその引用はよく目にしていたが、完訳本を読むにはこれがいいチャンスかと思ってまとめ買いを。

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【17】『回勅ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に』(カトリック中央協議会)

『回勅ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に』

 「機会があったらぜひ読んでみて!」と以前に信者の友人から強く薦められたのが「回勅ラウダート・シ」。このタイトルは古いイタリア語で「あなたは讃えられますように」という意味らしく、フランシスコ現ローマ教皇が2015年にカトリックの指針を信者に示した書簡である。わたしは信者では全然ないのだけれど、今や世界を揺るがす地球環境問題を大々的に取りあげて、持続可能な社会へと心の舵を切るよう信者を促した内容だと聞いて興味を覚えた。とにかく13億人の信者を擁するローマ教皇の影響力は計り知れないし、近年欧州でことのほか環境運動が活発化している精神的な背景にも触れられるような気がして、一つこれを機に読んでみようと思った次第。

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【18】『わたしの信仰 キリスト者として行動する』(新教出版社)

『わたしの信仰 キリスト者として行動する』

 表紙の大きな顔写真で「あっ、メルケルさんだ」と思わず手に取ったのは『わたしの信仰』と題する彼女の著作だ。今やドイツのみならずEUのおふくろさんともいえそうなこの女性はキリスト教民主同盟と称する政党の優れた政治家であり、党名にふさわしい博愛主義的な政策は移民問題で躓きつつも、コロナ対策で再浮上した観がある。
 この人の凄いところは単なる理想主義者ではなくプラグマチックに世界の難問を処理し、強かな独裁的政治家のプーチンやエルドアンとも五分に渡り合って説得する能力だろう。それはよほどの信念に裏打ちされていることが、コロナ禍で国民を説得したスピーチにも感得できた。というわけで、この本が今回のお買い物の〆にふさわしく思われたのだった。

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