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図書カード使い放題?!

もし手元に自由に使える3万円の図書カードNEXTがあったら、あなたならどんな本を買いますか?
このコーナーでは、そんな夢のような話を作家さんに体験していただき、どんな本を選んだかを大公開!
図書カードNEXTで本を選ぶ楽しみをあなたも疑似体験してください。

第29回:池澤夏樹さん

我が書斎の法隆寺
<プロフィール> 池澤夏樹(いけざわ・なつき)
1945年、北海道帯広市生まれ。1978年、詩集『塩の道』でデビュー。1984年に初の長編小説『夏の朝の成層圏』を発表。1988年に第98回芥川賞を受賞し、以降、小説、エッセイ、紀行など幅広い分野で活躍する。2001年の9.11同時多発テロ の後、メール・マガジンによる時事的エッセー「新世紀へようこそ」を配信。イラク戦争開始前には、反戦を訴えて『イラクの小さな橋を渡って』を緊急出版した。池澤夏樹=個人編集「世界文学全集」全30巻(河出書房新社)で毎日出版文化賞を受賞。現在、池澤夏樹=個人編集「日本文学全集」(河出書房新 社)を刊行中。

 本と聞くとぞくっとする。
 自ら読書中毒と認めざるを得ない。
 そういうことが60年以上も続いてきて、これはもう体質と言っていい。飛行機に乗る時はぜったいに読み物が途切れないよう周到に準備をする。手の届くところに本がないという事態はぼくの日常ではあり得ない。
 だから敬愛する「本の雑誌」から3万円で本を買い放題という企画を提案された時は欣喜雀躍、すぐに応じた。
 これが○○食べ放題だったら少しは考えたかもしれない。食べるのには満腹という限界があるし、いかにうまいものでも飽きるということもある。しばらくはキャビアもフォアグラも見たくない、となりかねない(まあ言ってみたい台詞ではあるが)。
 その点、本は永遠に取っておけるし、内容にバラエティーがあって飽きることがない。それが3万円分! 文庫ならば薄いのが4、50冊は買えるのではないか。一冊1時間で読んだとしても数十時間は保つ(昔、新潮社に「一時間文庫」という名著のシリーズがあった。河上徹太郎の『私の詩と真実』なんていい本だった)。
 しかし、とそこで気付いた。一気に3万円、実は毎月やっていることなのだ。ぼくは職業として書評を書いている。毎日新聞の「今週の本棚」と週刊文春の「私の読書日記」の締切が数週間に1回ずつ巡ってくる。合わせて4、5冊の本を取り上げるし、それを選ぶためにその10倍くらいの本に目を通す。
 業務としてやっていることを楽しみとしてするのはなんかおかしい。タクシー・ドライバーが休日にドライブに行くとか。お女郎ならば客と間夫を区別するということもあるけれど......などとあらぬ妄想に走る。
 本を買い放題はちょっとむずかしいことになった。
 自分が世にも贅沢な身分にあることを改めて知らされたかのようだ。世間の読書人よ、余を妬むがよい。
 それでも、ともかく本屋に行ってみよう。

 若い時には運不運いろいろあるものだが、ぼくは日本橋の丸善でとんでもない幸運を授かった。40年以上の昔、無名・若造・青二才・貧書生であるぼくに丸善の洋書部はいくらでも付けで本を買わせてくれた。制限なしのあるとき払い。売り場の主任のMさんの計らいだった。
 行って、売り場を一回りして欲しいものを集め、Mさんのところに持っていく。彼はスリップと呼ばれる一冊ごとの伝票を抜き取り、総計をメモし、あとは雑談。数か月に一回くらいいくらかを収めたがゼロにできたことはない。結果として踏み倒しもしなかったが。
 かつかつの財布で暮らしていた身にとって、好奇心のままに本が買えるのがどれほどありがたかったか。ロレンス・ダレルの著作もボルヘスの英訳もみんなここで揃えた。後に訳すことになるカート・ヴォネガットの『母なる夜』を入手したのも当時は3階にあった洋書売り場だった。気になった本をすぐ手元に置いて精査できるのが何よりも嬉しかった。精読するのは10冊に1冊(って、今やっている書評と同じ原理ではないか)。
 Mさんだっていきなり見ず知らずのぼくを信用してくれたわけではない。某大学の助教授である年上の友人の紹介があったからだが、それにしても太っ腹な話だと今さらながらに思う。もともと洋書というのは外商を通じて大学とは縁が深いから、ぼくはその余慶に与ったことになるか。
 ここにもう一つ恩義が加わる。
 1970年のある日、Mさんが「ジョナサン・ケイプがこれに力を入れているんですよ」と言って、仮綴じのアドヴァンス・エディションを一冊見せてくれた。
 アドヴァンス・エディションというのは出版社がとりわけ大々的に売り出したいという本がある時に、刊行に先立って主要な書店や書評家、メディアなどに配るごく簡単な装丁の非売品である。「持っていっていいですよ」と彼は言い、ぼくは貰って帰って、たちまちその迷宮に捕らえられ、出られなくなった。
『百年の孤独』だったのだ!
 鼓直の手になる日本語版が出たのはその2年後。英訳だって売り出し前。スペイン語圏の外でいえばぼくは相当に早い読者だった。我が人生、威張れることは多くないけれど、これは威張ってもいいように思う。
 夢中状態はずっと続いて、やがて精密な解読をもとに「『百年の孤独』読み解きキット」を作ったし、京大の特別講義でも取り上げ、その結果は『世界文学を読みほどく』(新潮社)に収めて、キットもそこに再録。我ながらうまく書けたと思う長篇『マシアス・ギリの失脚』には『百年の孤独』のマジック・リアリズムの影響が色濃い。
 ともかく人生の伴侶のような本で、その出会いの場が丸善だった。

池澤夏樹さんが図書カードで購入した本

著書 著者/出版社 価格(税込)
『法隆寺金堂壁画』 「法隆寺金堂壁画」刊行会編/岩波書店 ¥32,400
合計 1冊  購入総額 ¥32,400

それでは各書籍について、購入の背景をじっくりと伺いましょう。

購入の背景について

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