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作家の読書道 WEB本の雑誌 Presents

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作家自身は、どんな「本屋のお客」なんだろう?そしてどんな「本の読者」なんだろう?そんな疑問を、作家の方々に直撃インタビューです。

澤田瞳子:イメージ第262回: 澤田瞳子さん2010年に奈良時代が舞台の『孤鷹(こよう)の天』で小説家デビュー、以来さまざまな時代、さまざまな切り口の時代・歴史小説を発表、明治から大正を舞台にした『星落ちて、なお』で2021年に直木賞を受賞した澤田瞳子さん。実は幼い頃から大変な読書家で、授業中にも本を読んで叱られていたのだとか。膨大な読書遍歴の一部と、歴史ものに興味を持ったきっかけや、プロデビューの経緯などおうかがいしました。

その5「小説の執筆&デビューのきっかけ」 (5/8)

大江戸猫三昧: 時代小説アンソロジー 〈新装版〉 (徳間文庫)
『大江戸猫三昧: 時代小説アンソロジー 〈新装版〉 (徳間文庫)』
澤田瞳子
徳間書店
726円(税込)
酔うて候 (徳間文庫 さ 31-3 時代小説傑作選)
『酔うて候 (徳間文庫 さ 31-3 時代小説傑作選)』
澤田 瞳子,澁澤 龍彦
徳間書店
5,336円(税込)
孤鷹の天 上 (徳間文庫 さ 31-5)
『孤鷹の天 上 (徳間文庫 さ 31-5)』
澤田瞳子
徳間書店
754円(税込)
ぼくらの七日間戦争 (角川文庫)
『ぼくらの七日間戦争 (角川文庫)』
宗田 理
KADOKAWA/角川書店
704円(税込)

――大学院に進まれたんですよね。もっと勉強したいと思われたのですか。

澤田:そうですね。あとはまあ、わたし2000年卒で就職超氷河期だったので、どう考えても就職は無理だというのもありました。
ただ研究ばかりしているうちに、わたしは歴史は好きだけれども、もうちょっと楽しむようにやりたいなと思うようになりました。研究だと9割9分9厘まで論をつめて、ちょっとだけ想像を入れるんですけれど、わたしは6割くらいから想像を始めちゃうんです。教授にもよく「君の論考は雑だよ」って注意されていました。でも、わたしは6割くらいからはしごをかけるのが楽しいんじゃん、って思っていたんです。その時はまだ小説を書こうとは思っていなかったんですけれど。

――それで大学院を途中でやめたそうですね。

澤田:結構発作的に辞めたんですよ。修士論文を出して博士課程の願書を出すまであと10日くらいという頃に、願書を取りに行って手続きを確認していたら、入学金が10万円って書いてあったんです。3年前修士になる時に払って、また払うのかと思った時にプチっと何かが切れて、かなり発作的に進学をやめたんです。

――やめてどうしようと考えていたのですか。

澤田:考えていたのは看護士さんになるか、理系の自然科学系の大学に入り直して、地学とか、水産系も好きだったのでそれを勉強するか。けれど結局、博物館等のアルバイトをしながら細々とできることを探すという、一番楽な道を選びました。

――水産系も好きだったのですか。

澤田:水族館の飼育員になりたいという野望があったんです。水族館はずっと好きです。水の中って知らないところなので、知りたくなるんです。知らないところといっても宇宙はちょっと遠いですし。

――その頃の京都って、水族館ありましたっけ。

澤田:当時はなかったんですよ。三重県の鳥羽の水族館に行っていました。大阪に海遊館という水族館ができたのはわたしが小6くらいの頃かな。
わたしはとにかく博物館施設が大好きなんです。だから科学館も博物館も郷土資料館も好きで、そういったなかのひとつが水族館ですね。

――澤田さんは今も大学で働いているそうですが、それはいつからですか。

澤田:大学院を飛び出して2年か3年経った頃、アルバイトとして雇用してもらいました。教授が、わたしが発作的に飛び出したことをご存知だったので、「大丈夫? うちの研究室に来る?」と声をかけてくださって。教授が受け持っていたある課程のバイトに行くことになり、今も週一回の勤務を続けています。

――では、小説を書くようになったきっかけは。

澤田:大学院を辞めてから、いろいろ文章のお手伝いもしていたんです。新人賞の下読みの下読みをやったり、徳間書店から出ている時代小説のアンソロジー、『大江戸猫三昧』『犬道楽江戸草紙』『酔うて候』の3冊の編纂をやって、その巻末にコラムを書いたりして。出版界の端っこにいるなかで、徳間書店の「問題小説」という雑誌でエッセイを書くことになりました。その頃テレビ番組の「トリビアの泉」が流行っていたので、京都のトリビアやコラムを書きませんか、みたいなことを言われたんだったと思います。それを2、3年やったのかな。そうしたら「小説もやってみる?」みたいな話になり、最初は、先ほどもお話した現代ミステリーを書いたんですが、こちらはあっさりボツになりました。
ちょうどその頃、時代小説の書き下ろし文庫が流行り始めていたいたんですよね。2007年か8年くらいです。それで「時代小説の書き下ろしだったらどういう時代がやりたいか」と訊かれて、「奈良時代がいいです」って言ったら、編集者さんは「奈良か......」という反応でした。でも奈良時代をやって駄目だったら江戸ものをやらせればいいと思ったそうです。江戸ものをやって駄目だったら奈良時代、というのはありえないので、それで書かせてもらったのが『孤鷹(こよう)の天』でした。

――デビュー作ですね。奈良時代の儒教の大学寮の話です。

澤田:もともと古代が好きだったんですが、ちょうどその頃古代の小説を書く小説家がほとんどいなかったんですよね。母には「奈良時代の話は売れないよ」と言われました。でも、面白かったらいいんじゃないかと思ったし、それこそ書き下ろしなので書く段階では何のペイも発生しないから、書くだけ書いて駄目だったら駄目でいいじゃん、っていう気持ちでした。

――いきなり書けたんですか。

澤田:すごく時間はかかりました。ただ、実はその前に、小説宝石新人賞に奈良ものの短篇を送っていたんです。最終選考に残りましたが。それが50枚くらいだったので、あれを10倍にすれば500枚だな、って思ったんですよね。今思うと怖いもの知らずで無茶なこと考えていますね。

――天平宝宇年間、藤原清河の家に仕える高向斐麻呂が14歳で大学寮に入寮し、仲間たちと儒学を学んでいくけれど、政治の世界では仏教推進派が儒教派である大学寮出身者を排斥しはじめて...という。この設定を選んだのはどうしてですか。

澤田:その頃、高学歴ワーキングプアの問題が盛んに取り沙汰されていたんです。わたし自身も大学院は出たけれど働き口がないという、高学歴ワーキングプアの端っこに所属する人間だったので、そうしたものを書こうかなと。わたしは『孤鷹の天』で奈良時代版の『ぼくらの7日間戦争』がやりたかったんですよ。と思ったら全然違う話になったので、この話をしてもあまりウケない(笑)。

――その『孤鷹の天』で中山義秀文学賞を受賞されましたよね。今後プロの作家としてやっていこう、みたいな気持ちになりました?

澤田:いやあ、わたしは今でもプロ作家の自覚があまり......。

――え、今でもですか? 

澤田:よくないことなんですけれど。仕事だということは分かっているんですよ。でも、仕事意識がちょっと欠けているというか。ビジネスというより、好きなことをさせてもらっているという感覚が強いんですよね。編集者さんたちによく「澤田さん忙しいでしょう」と言われるんですが、忙しいというより楽しいという気持ちのほうが強いんです。あ、でも3か月くらい前にやっと、「あ、わたし忙しいんだ」と気付きました。

――3か月前ですか? それまでもずっとお忙しかったと思うのですが。

澤田:仕事って、もっとハードなもんじゃないだろうかっていう気持ちがありました。すごく傲慢な言い方になってしまいますが、世の中には走るのが速い人とか、ボールを遠くまで投げられる人とかがいるじゃないですか。わたしはそういうマッチングで考えるとどうやら文章は書けるらしい、書けるんだったら小説を書こうかな、みたいな流れで書き始めたので、作家になりたくて苦労したという時期がないんですよ。研究者としてのマッチングがうまいかなくて、文章を書くお仕事というところはマッチングできたんだな、ラッキーだな、という感覚です。新人賞で1回落ちましたが、それでも最初の投稿で最終選考までいきましたし。直木賞も受賞するまでは5回かかりましたが、何度も候補になれている段階でまあまあ評価いただけているんだろうなと思えましたし。だから、大変とか忙しいというより、お仕事なのにこんなに楽しくていいのかな、みたいな不思議な感覚があります。小説の仕事は大好きなんだと思います。

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